新潟県上越市と聞いて真っ先に浮かぶのは「米どころ」という言葉だった。
けれど、それ以上の知識はほとんどなく、広大な田んぼを前にしても、「大変そうだな」「ここが私たちの食を支えているんだな」そんな客観的な感想しか出てこなかった。
9月2日、農村観光ワークショップのために東京から来た私にとって、稲刈りには少し早いような気がするが、雪の多い上越では夏休みが終われば、すぐに収穫時期が始まるそうだ。
稲刈りの経験なんてもちろんないし、農作業の知識もゼロ。
それでも、収穫の瞬間に立ち会ってみたいという気持ちが、不安より少しだけ勝っていた。
稲刈り体験は気づきと学びの時間
田んぼに入る前、富永農産の富永曉さんが丁寧に説明してくれた。
稲のどこを持つと刈りやすいか、鎌の角度、足の置き方、そして何より大切な安全面の話。
最初の一振りはぎこちなく、稲が倒れる方向もバラバラ。まともにカマが入らない。
けれど、富永さんが「無理に力を入れずに」「焦らなくていいですよ」と声をかけてくれたおかげで、少しずつ手の動きが整っていった。
刈った稲を束ね、天日干しのために並べていく。これを束ねるのも一苦労。
ひとつふたつと束ねるうちにそれなりの束を作れるようになった。
稲を束ねるという作業には、紐も袋も不要。
目の前にある稲を紐として使って束ねるだけ。
こんなところにも先人の知恵と工夫が当たり前のように存在していることに気づかされる。
小さいことに見えますが、これがすばらしい「エコ」なんですよね。
今年の天候の話や、米づくりの苦労、
「今年は雨が多かったけど、なんとかここまで来たよ」「稲刈りを予定していても、雨が降ってしまうだけで延期になる。タイミングがずれると一番おいしい状態で収穫できない」といった農家ならではのリアルな声も聞かせてもらった。
体を動かしながら、頭でも学ぶ時間。
ただの作業ではなく、田んぼの中で“知る”ことが積み重なっていった。

実現できたことと、そこから気づいた3つの学び
自分の手で刈った稲が、束になって並んでいる光景を見たとき、「お米になる途中に関われたんだ」という実感が湧いてきた。ほんの少しの作業でも、達成感は想像以上だった。
そこから得た学びは3つ。
① 道具や機械は、長年の工夫の結晶だった
鎌の形、束ね方、干し方──
どれも「こうすると効率がいい」「こうすると安全」という積み重ねの結果。
農家の知恵は、道具そのものに宿っていた。
力の入れ方や角度で収穫スピードは大きく変わる。
慣れれば稲を束ねる形も整ってくる。
動きも手順も型が決まるときれいに整う。
② 自然相手の仕事は、コントロールより“向き合い方”が大切
天候は選べない。
でも、どう受け止め、どう工夫するかは人が決められる。
「米作りは田植えと稲刈りだけじゃなく、害虫や雑草との闘いの方が長いんですよ。夏の暑さの中でそれをどこまで丁寧にできるかでお米が変わってきます。」
富永さんの言葉や姿勢から、その柔らかい強さを感じた。
③ 体験すると、知らない世界が一気に“自分ごと”になる
稲刈りはみんなで声を掛け合いながら、ちょっと競争心をあおりながらやると不思議と気合が入る。
道具の扱いがわかってくると作業がはかどり、疲れよりも「もっとやりたい」という気持ちが勝っていった。
田んぼの中には、日常にも通じる学びがたくさんあった。

体験後 お米の見方が変わった
体験前は「大変そう」「自分には無理かも」というためらいが大きかった。
けれど、終わってみると、残ったのは心地よい疲労感と満足感。
そして何より、米への見方が変わった。
その日いただいた炊き立てのご飯は、今まで食べてきたどんなご飯よりもおいしく感じられた。
「食べる」という行為の向こう側にある時間や手間、人の思いを知ったからだと思う。
毎日の食事が、少しだけ特別に感じられるようになった。

地域の人との出会い、そして体験したことで変わること
今回の稲刈り体験で、忘れられないのは富永さんの存在だ。
作業の手順だけでなく、「無理しないでね」「その束、いい感じですよ」
といった何気ない言葉が、緊張をほぐし、背中を押してくれた。
作業後に交わした雑談も心に残っている。
「また来年も手伝いに来てよ」
その一言が、田んぼの風景と一緒に胸に刻まれた。
観光地を巡る旅も楽しいけれど、“体験して、そこで働く人と交流する旅”は、心に残る深さがまったく違う。
同じ場所で汗をかき、同じ景色を見て、同じ空気を吸う。
その時間があるだけで、富永さんのお米、上越のお米は、私の中で一番おいしいお米になった。
体験は、味覚までも変えてしまうスパイスなのかもしれない。
もしあなたが次の旅先を考えているなら、
ぜひ「体験」と「人との出会い」を目的にしてみてほしい。
きっと、帰る頃にはその土地が少しだけ“自分の場所”になっているはず。

